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Dec 01
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tooola:

千住宗臣&山本達久 “a thousand mountains” accoustic & synthesized drums and percussion
PARA、ウリチパン郡、コンボピアノなどで大活躍中のドラマー・千住宗臣と、NATSUMENのドラマーでありジャズからロックまで数多くのセッションをこなす超多忙な山本達久の二人による、ドラムとパーカッションの嵐!な作品。 打楽器とはこれほどまでに音色の豊穣な楽器であったのか!と驚くこと必至です。またCOMBOPIANOの渡邊琢磨によるリミックス(M4)も、テンション・マックスで凄まじい出来。ドラム・ファンのみならず、全ての音楽ファンに聴いていただきたい革命的な大傑作!!ポリリズムのプリミティヴ・グルーヴと倍音によって構成された音響の壁があなたの腰と脳髄をサブリミナルに刺激する! 山本達久(ドラム、メタル、パーカッション、ゴング、大太鼓) 千住宗臣(ドラム、パーカッション、エレクトロニクス (via FUCK SHIT: Muneomi Senju & Tatsuhisa Yamamoto)

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千住宗臣&山本達久
“a thousand mountains”
accoustic & synthesized drums and percussion

PARA、ウリチパン郡、コンボピアノなどで大活躍中のドラマー・千住宗臣と、NATSUMENのドラマーでありジャズからロックまで数多くのセッションをこなす超多忙な山本達久の二人による、ドラムとパーカッションの嵐!な作品。 打楽器とはこれほどまでに音色の豊穣な楽器であったのか!と驚くこと必至です。またCOMBOPIANOの渡邊琢磨によるリミックス(M4)も、テンション・マックスで凄まじい出来。ドラム・ファンのみならず、全ての音楽ファンに聴いていただきたい革命的な大傑作!!ポリリズムのプリミティヴ・グルーヴと倍音によって構成された音響の壁があなたの腰と脳髄をサブリミナルに刺激する! 山本達久(ドラム、メタル、パーカッション、ゴング、大太鼓) 千住宗臣(ドラム、パーカッション、エレクトロニクス (via FUCK SHIT: Muneomi Senju & Tatsuhisa Yamamoto)

Nov 29
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otsune 2009/11/28 22:25
なるほど。今まで「たとえいくら正論でも、ネットで議論や反論をすると「痛々しい言動」だとか「一般人から見たら恥ずかしいこと」だとか言われがちでしたが。何もしないでただぼーっとニヤニヤしながら眺めるよりは「正しい」態度としてそんな「悪」と戦い、そういう「多数の主観」という暴力と戦おうと思います。
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解散後2年ほど、僕は制作の仕事に就いたが向いてないことを悟り、23歳から24年間本屋で働いた。音楽も聴かず楽器も触らず、昔のことはいっさい振り返らなかった。音楽を中途半端でやめてしまった気持ち悪さと悔しさみたいなものが入り混じっていた。達成感も満足感もない。もしも喋るとすれば言い訳しかなかった。
早くおじいさんになりたかった。しかし、このまま歳をとりいざ死ぬ時、自分の体はちゃんと燃えないのではないかと思った。骨以外のものが残ってしまうような気がした。もう一度最初から歌おう。今度こそ悔いの残らぬように歌いたいと思った。

過去を恥ずかしがらずにするためには、あれで良かったのだと思うためには、やり残したことをやらなければならない。あのころと僕は何も変わっていない。いったい僕は何を歌いたかったのだろう。沈黙していた数十年間、実は歌っていたんだと思えるように歌いたかった。

Nov 28
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このように「他人本位」から「自己本位」に脱し、自身の神経衰弱を克服した漱石は、次代を生きる若き聴衆に向けて、次のように熱く語りかけています。

ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたははじめて心を安んずることができるのでしょう。(~中略~)もし途中で霧か靄(もや)のために懊悩していられるかたがあるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘り当てる所まで行ったらよかろうと思うのです。(~中略~)だからもし私のような病気に罹った人が、もしこの中にあるならば、どうぞ勇猛にお進みにならんことを希望してやまないのです。もしそこまで行ければ、ここにおれの尻を落ちつける場所があったのだという事実をご発見になって、生涯の安心と自信を握ることができるようになると思うから申し上げるのです。(同前)

 この漱石の熱のこもった言葉は、100年近く経った現在でも、私たちに新鮮に、力強く響いてきます。

「自己実現」とか「自分探し」といった言葉があります。これらは、いつの間にかすっかり手垢にまみれてしまって、今日ではあまり評判のよろしくないイメージをまとってしまった観があります。そのうえ「本当の自分なんて、どこにもありはしない」「自分探しなんて、するだけ無駄」といった言説のほうが、ずいぶんと幅を利かせてもいます。

 そういったマイナスイメージがなぜ生じてしまったかという問題はさて置き、それでもなお「自己本位」として漱石が言いたかった「主体」回復の大切さは、時代が変わったからといって容易に減じるようなものではないはずです。「主体」をいかに自分に取り戻すかという問題は、人間にとって「生きるか死ぬか」に関わるほど根源的で切実なテーマなのであって、決して「ありえない」ものでも「無駄な」ものでもないのです。

Nov 26
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その調子だと、おまえ、すぐにおとなになっちゃうぞ。父さんや母さんみたいな、おとなになるんだ。ごくふつうに見えて、ごくふつうに聞くだけのおとなだ。つまり、なーんにも見ないし、なーんにも聞かないってことだな。とどのつまり、おまえは、なんにもできなくなっちまうんだ - ホムサ
Twitter / ムーミン谷の名言bot (via do-nothing) (via nakano) 目を瞑り耳を塞いで座して死を待つだけの簡単なお仕事 (via suzuvie)
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Nov 25
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日常の会話で、文化的な、高尚な話をするのはタブーであり、話題として許されるのは、藝能界の話やエロ話、教師の悪口といった、極力下賎なものに限定されていた。
教科書に高橋和巳の文章が載っていたことがあった。生徒らは、その頃高橋カツミとかいう野球選手がいたらしく、カツミなら知ってるけど、和巳なんか知らない、と口々に言った。知っていて知らないふりをしている者もいたかもしれないが、彼らにとって重要なのは、文学者の名前など知らないということであって、それが彼らにとっては名誉なのである。

先行世代に支持された作家など、知っていてはまずい、そんなものを知っているのは、のちの言葉で言うキモい奴ということになってしまう。
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